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正月飾り(羽子板・破魔弓)
お子様の初正月に飾る破魔弓や羽子板は、今も残る日本の美しい風習です。
友禅や金襴などの生地で作る絢爛な羽子板はお飾りするだけで華やかさが増し、純金箔押しを施した破魔弓は、重厚で凛々しく品格が漂います。
手軽なミニサイズから豪華なタイプまで、多彩。

正月飾りとは

羽子板・破魔弓の意味

お正月の羽根つきは、江戸の昔から女の子の遊びです。そして羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味も持っています。
羽子板でつく羽の玉、あの黒くて堅い玉は“むくろじ”という大木の種ですが、これは漢字で「無患子」と書きます。
「子供が患わない」という意味が込められています。 破魔弓は読んで字のごとく、魔よけ、厄払いのお守りです。男の子の元気な成長を願いお正月の縁起の祝い物となっています。
また神社の破魔弓や、棟上げの際屋根に立てる破魔弓も弓矢のもつ魔除けの力を信じることから生まれた習慣です。 羽子板も破魔弓も、ともに古来からの行事であった新春の年占いや厄払いがその始まりです。
男の子が弓矢で的を射て年占いをしたのがのちに破魔弓になり、女の子がお正月に羽をついて、その年の厄払いをしたのがのちに美しい羽子板を生み出したのです。

羽子板・破魔弓を飾る期間

羽子板や破魔弓は、12月の中旬以降に飾り付けたらよいでしょう。お正月には贈って頂いた方々を招いてご家庭でおもてなしするのもよい方法です。 しまうのは、1月15日頃がよいでしょう。
それはちょうどこの頃、お正月飾りを焼く左義長(さぎちょう・どんど焼きのこと)の行事が行われるからです。
江戸時代には、宮中の左義長風景を描いた極彩色の左義長羽子板というものがありました。これは、このお正月行事と羽子板との密接な関係を物語っているものといえるでしょう

正月飾は初正月だけのもの?

魔除けですので、初正月に限らず毎年飾ってください。 また、初正月の記念撮影はもちろん、ひもおとしの記念撮影の際に使われてはいかがですか。
生まれたときに贈られたお守りですので、成長の良い記念になりますし、いまでも大切にしていることがわかり、贈り主の方もとても喜ばれます。
【羽子板、破魔弓の歴史】 赤ちゃんが初めて迎える初正月を祝って祖父母や仲人、友人などが女の子には羽子板を男の子には破魔弓を 贈るという美しい習慣があります。
  羽子板の初めは平安時代の階上人(昇殿を許された天皇に近侍する人)が正服を着る束帯の時、右手に持つ笏 (しやく・長さ一尺ばかりで裏に用事の紙を貼ったが後に敬意を表す具に)から転化したと考えられています。
 最初は正月の爆竹(左義長といい、正月15日に宮中の庭で青竹を束ねて毬3個を結び、これに天皇の吉事などを 掲げて焼く、いわゆるどんど焼き行事)に用いられたが、後に羽根つきの遊遊具となったとされています。
同時に鑑 賞用として正月の飾りものになりました。  羽根つき遊びは室町時代から行われ、貞享、元禄のころ〈1684~1703年)には公卿、大名、旗本などの間で女 児の正月を祝う贈り物にされたといいます。
 江戸後期になると、歌舞伎役者の似顔絵を精巧、豪華な押絵で作ったものが流行し庶民の間にも広まりました。
破魔弓は初めから飾り物として作られたものではなく、宮中で正月17日に弓を射る儀式があり、これを模倣して的 を射る遊戯から始まったとされています。
儀式射礼または大射といい、孝徳天皇の大化3年(647年)から行われ、 これに用いる的としてわら縄で円座のようなものを作り、これを「破魔」と言い、男児の正月の祝い物となりました。
 破魔弓の基本形は弓2本を左右にその中央に沓を置き、前に矢を数本差し下部に大きな雁股矢尻型の金具をつけ、 さらに漆塗りの飾り板を支柱として取りつけてるものです。

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